いがのくにふるさとはなし

伊賀國

言葉の思ひ出
ふ〜ん・上野言葉

東川吉嗣

伊賀國の玄關頁
あ〜か
き〜こ
さ〜た
ち〜ひ
名張言葉 - ふ〜ん・上野言葉

○フのことば - ふきぶり ふくすけ ふり ふる ぶんまはし
○ホのことば - ほかす ほたへる ほたるのおばちゃん ぽつくり ほる ぼろきん ぼんがい ぼんのくぼ
○マのことば - ませる またいとこ まち まつのまへ まとば まはり まんこ まんまんさん
○ミのことば - みこをかける みづつき みづや みりん
○ムのことば - むそくにん むねばたけ
○モのことば - もつて もみ もんどり
○ヤのことば - や やいと やくざをする やなぎすい やはこい やん やんぺのはらいたむしわいた
○ユのことば - ゆう
○ヨのことば - ようけ よさり よつたり よつつ よばい よばれる よりあひ
○ミのことば - みづな
○ラのことば - ら
○ロのことば - ろつぽうせき
○ワのことば - わけする わたい わや わるき
○ヱのことば - ゑふ
○ヲのことば - ををけ
名張で使はない上野言葉
○おまん せやない わい


○ふきぶり
 雨が強い風を伴ひ、降ること。吹き降り。「えらい吹き降りやけど、用事があるさかい、出掛けやな、しょうないなあ。」などと言ふ。

○ふくすけ
 ある時、家へ唖{おし}ださん(喋れない人)が來て、身振手振で話してから出て行つたことがあり、後で、母から、あのやうな唖{おし}や聾{つんぼ}の人は、皆から、「福助」と言つて、大切にされてゐる、とヘへられた。   小學校の夏休みに上野の母の實家でゐた時、近所の子が用足しに來て何か喋つたので、自分は相手の顔を見ずに答へたところ、後で叔母から、「あの人は耳が聞えないので、相手の顔を見て話さないとあかん」とヘへられ、聽けなくても口の動きで讀み取れることをヘへられた。

○ふり ふる
 ふんどしやパンツを穿かないやうす。童のころは、「ふるちんで川へ這入る」などと言つた。「ふり」は江戸時代には既に使はれてゐた、古い言ひ方らしい。

○ぶんまはし
 圓形を描く道具。今の、いはゆる「コンパス」。「振り回す」ことからか。父は石工であつたので、墓石に家紋を描く時などに、竹で造つたぶんまはしで輪を描いてゐた。

○ほかす
 物を捨てることを、「ほかす」といふ。自分の手元から離れたところへ置きさること。「そんな汚いもん、拾ふてきて。早よう、ほかし」などと言ふ。手元から離して、係はりを持たないでゐることを「ほつたらかす」といふが、これと關係がある言葉か。

○ほたへる
 童などが家の中や、静かにすべき所で、大聲で騒ぎ立てたり、走り廻つたりする。「おひとはんがあるんやから、ほたえたらあかん」などといふ。

○ほたるのおばちゃん
 光を出さないほたる。晝間、みかける。源氏螢くらひの大きさの甲虫。大きめで、光らないので、「螢の年寄り」との意味か。光輝く娘御も、おばちゃんと呼ばれるやうになると、光を失ふことからか。

○ぽつくり
 木を刳り抜いて造つた下駄、木靴。木履{ぼくり}のこと。見坊豪紀編輯主幹『三省堂国語辞典第四版小型版』(平成七年、株式會社三省堂。第1105ページ)には、「少女がはく、うるし塗(ヌ)りのげた。高さがあって前をそいだ形をしており、底はくりぬいてある。歩くと、ぽくぽく音を立てる。」とあり、いかにも、この音から來た名であるらしく書いてあるが、誤り。

○ほる
 物をはふり投げること。「ひとに向けて石をほつたらあかん」と言はれた。

○ぼろきん
 廃品回収業のことを言つた。子供心に「ぼろ布」や「金屬」の買ひ入れをするので言ふのかと思つてゐたが、名張に、通稱「ぼろ金」といふ業者がゐて、選擧にも立候補したことのある、有名人であつたとのこと。

○ぼんがい
 坊垣小場。古くは「坊垣内(ボウカイド)」と言つたらしい。役の行者を祀る「寺」の坊がある「垣内」と言うことか。平尾山の裾の高臺であるカミヤシキ、その下のマヘダ、更にウシロデの土坂(ドザカ)から、今は消えて仕舞つた「弘法さんの土手」から御座當さんを經て積田神社への道を境にした川筋のヘヤノカハラを含む一帯が坊垣域。

○ぼんのくぼ
 頭の後ろの少し窪んだあたり。うなじの窪みをいふ。「うなじに煩惱が宿る」から「煩惱の窪」か。「二日酔ひには、ぼんのくぼを輕く叩いてやるとええ」などと言ふ。

○ませる
 童でありながら、「大人びる」こと。子供同士での話で、性に纏はる話をすると、「ませてる」と言はれた。幼い女の子が大人びた言ひ方や仕方をしたり、意圖的に大人の眞似をすると、「おませちやん」などと大人が言つた。  歳が「増す」といふことか。

○またいとこ
 従弟の子同士の關係。はとこ。

○まち
 名張の町なかへ行くことを「町へ行く」と言つた。

○まつのまへ
 夏見の箕輪小學校東のほんの數軒の家がある地域の地名。箕輪小學校は松永屋敷の跡なので、「まつのまへ」の「松」は「松永屋敷」を指し、小學校域の東側に屋敷の門があつたことが判る。全國にある「寺前、宮前」などの地名は、寺や宮の出入り口の正面の狹い地域を指してゐる。

○まとば
 鴻巣の池と夏見の川の間の高臺の畑地を「まとば」といつてゐた。現在、運動公園になつてゐる邊り。むかし、藤堂藩の「的場」でもあつたか。あるいは、的場に適した地形なのか。

○まはり
 準備のこと。手筈を整へることを「まわりをする」といふ。「明日の遠足のまはりをちゃんとしてから寝る」などと言ふ。何か事をなす場合、そのこと自體よりも、それを達成する爲に必要な、やるべき事を先にすることが大切。  「まはり」には、右や左などへ進む方向を變へるつつ曲り行くやうに動くことや、「周りを見渡す」や、「歩き廻る」など、廣い範圍を隈無く對象とするなどの意味があり、準備や手筈など、物理的な廣さだけでなく、質的な充足や心の準備をも意味する。「急がばまはれ」といふ諺に就いて、『岩波古語辞典』では、 「急がば廻れ 危険な近道よりも安全な本道を廻った方が、結局早く目的地につくという意、「武夫(もののふ)のやばせの舟は早くとも ─ 瀬田の長橋」〈噺・醒酔笑一〉」(大野晋ら編『岩波古語辞典』、昭和四十九年、株式會社岩波書店。第九六頁) と。また、『広辞苑』では 「急がば回れ 危険な近道よりも、安全な本道をまわった方が結局早く目的地につく意。」(新村出編『広辞苑』、昭和四十年、株式會社岩波書店。第一一一頁) とあり、笑ひ話を集めた『醒酔笑』の記事を引用して解説してゐる。そして、この歌の直接的な意味として、近江の八橋からの水上交通は琵琶湖が荒れる可能性があるので、琵琶湖の沿岸を遠回りして瀬田の唐橋を渡るはうが、早く京へ行けるのだといふ。そして、この『醒酔笑』の歌の石碑が現地にあるといふ。出典明記を唯一の根據とする人達は、これで納得しても、京と東國を往き來しない人には、縁の無い話であらう。   引用元の『醒酔笑』の記事は、
 ◎いそがばまはれといふことは物{もの}ごとにあるべき遠慮なり。宗長{そうちよう}のよめる。  「武士{もののふ}のやばせの船{ふね}ははやくともいそがば廻{まは}れせたのながはし」 (安楽菴策伝著『醒酔笑』昭和六年、東方書院、仏教文庫10。第4頁)(國立國會圖書館デジタルコレクション) となつてゐて、「物事にあるべき遠慮」を意味すると明記してゐる。「遠慮」は、元來の意味、「先々までの遠い将來を考へて、あるいは、自分とは心理的な距離のある相手の心の内を推し量り、周到に準備をしておいたり、實行したりすること」であり、「急がばまはれ」は、實際には、物事を急ぐ時こそ、前もつて、充分に手を盡くして考へ、必要な品々を整へ、物心ともに餘裕をもつて取りかかるなり出發するべきことを言つたと觀るのが正しい解釋であらう。急ぐべきことは、重大なことが多い。そんな事に直面した時ほど、一歩、立ち止り、「ちゃん」と「まはり」が出來てゐるかを確かめる必要があらう。江戸の尻取り歌に、「三べん廻つて煙草にせう」とあるが、火の用心などの夜廻り役が、一休みする前に町内を何囘も廻つてから休息するといふことで、この場合の「まはる」も、決められた順路をおざなりに歩いてくるといふのではなく、町内の住民に火の用心の注意喚起が行渡るやうに「隈無く、念を入れて歩き廻る」といふ意味があるのは當然である。   「まはし者」とか「附けまはす」といふ言葉があるが、この場合の「まはす」も、目的の相手に時間的にも地域的にも落度無く、あるいは、漏れなく注意を注ぐことであり、「まはり」の本來的な使ひかたであらう。

○まんこ
 小型のこがねむし。道ばたのいたどりの葉や、葛の葉によくゐた小柄の甲蟲。東京へ來た時、「おめこ」のことを「おまんこ」と言ふのを聞いて、蟲に敬語を使ふてゐるやうに聞こえた。

○まんまんさん
 神佛を祀る祭壇。「まんまんさんを拝む」などと言つた。

○みこをかける
 しびとの弔ひが濟んでから、神懸かりになる人を通して、しびと本人の意思を聽くこと。巫女(みこ)の手を掛けるといふことか。「だれ誰さんにみこをかけたら、足が冷とうてかなわん、ちゅうてたんやげな。棺に入れてやる時に足袋を履かしてやるのを忘れたさかいや、ちゅうてたわ。」などといふ。人は死んでも、その存在は、生き殘つた我々の生活のすぐ隣に在り續けてゐるとの考へがよく判る風習である。

○みづつき
 川の水が溢れて家の中へ水が這入ること。「おほみづ」。語源は、「水が衝く」よりも「水漬き」かと思はれる。「青蓮寺ダムができる前は、颱風や、ちゅうと、よう水がついたわ。」

○みづや
 食器戸棚。元來「水まはりの作業場」を指す「水屋」が、調理場の整頓家具を指すやうになつたものか。茶碗やお箸をみづやに仕舞つておく。

○みりん
 小さなガラス玉で、遠くから相手の玉に當てて遊ぶ。東京邊りでは「ビー玉」といふ。

○むそくにん
 「無足人」と書く。「曾和も無足人やつた」などといふ。藤堂藩の伊賀領における家格制度。「無足」は「無報酬」のことで、藤堂家の伊賀入國以前の地侍や有力者を家臣扱ひで優遇して、戰時には出兵の義務を課した。「無足人講」といふ仲間組織があつたらしい。庄屋や町役は、無足人から選ばれた。幼い頃、「長瀬の羽後は無足人やつたから、おぢいさんは鳥羽伏見の戰ひに行つた」と、聽いた。

○むねばたけ
 我が家での畑の名。家には小さな畑をいくつか耕して、自家用の野菜や芋などを作つてゐた。屋敷内の家の裏にあつた畑は「うらのはたけ」、いま市役所のある邊りにあつた畑は「むねばたけ」、今は埋め立てられた鴻巣の池の端にあつた畑は「池のはた」。このうち、「むねばたけ」は、「高い所の畑」の意味。「むね」は「嶺(みね)」と同じ。

○もつて
 「しながら」といふ言ひ方。ラジオを聞きながら宿題をすることを、「ラジオを聞きもつて、勉強する」といふ。「外のことをしもつて勉強しても、身に付かん」などと言ふ。「しもつて」も參照されたい。

○もみ
 稲穂から米の實を外したもの。昔は稲穂を手で揉んで作業をしたためか。米を搗いて實から殻を外すと、「もみがら」が出來る。このもみがらを「もみぬか」といふ。米の實を搗いて實の芯の部分と外部とを篩ひ分ける。これを篩ひ分けたのが「すりぬか」。「ぬか」は「抜けた物」のことか。

○もんどり
 「もんどりかご」。梅雨時や、夏の大雨の時、川へ流れ込む小川に竹駕籠造りの仕掛けを据えて、魚を獲つた。小川の水が駕籠を通り、駕籠の口から流れ出るやうに石を積んで細工をして、流れを遡る魚が駕籠に這入るやうにする。魚は中へ這入ると出られない。太さが七八寸、長さは三尺位の丸い筒の形で、口は返へしが付き、シリは、竹を編まずにある。仕掛ける時は、縄で縛り、魚を出すときに結びをほどく。餌は要らない。髪結ひなどが髪を束ねる「もとどり」と同じやうな縛りかたなので、かく言ふか。あるいは、明治以前の官制では、水利などを擔當する役職を主水(もんど)といふのと關係があるか。

○や
 言葉の末につけて「なに何である」との言ひ方。「である」が「ぢゃ」、更に「や」となつたもの。「さうである」が「さうぢゃ」、「さうや」、「そや」、「せや」となる。

○やいと
 灸。「焼き」に手法を示す「手」を重ねた「焼き手」の音便か。身體の「つぼ」と言はれる、特定の箇所に、蓬の葉を乾燥して手で揉んだもぐさ(揉み草)の小さい塊まりを載せて、線香で火を點ける。草の燃える時の熱でつぼを刺激して身體の調子を調へる。「やいとを据える」とか「やいとをする」と言ふ。惡いことをした人に、痛い目に遭はせて懲らしめることを「やいとを据える」と言ふ。「あいつは、口で言ふても判らん奴や。一遍やいとを据えたらんとあかんな」などと言ふ。祖父母が背中へやいとをしてゐた。

○やくざをする
 大人がきちんとした考へも無しに遊び、金や時間を無駄に費やして、親に心配を掛けること。自分の甲斐性で遊んだり、親が既にゐない状況では「親に心配を掛けない」ので、「やくざをする」とは言はない。近い意味に「ごくど」がある。「あいつも若いときはヤクザをしたけど、いまはよう働いてえろうなつた」などといふ。「やくざ」の語源については、古くから札博打の目の出方で「八九三」の讀み方からくるとされてきた。例へば、(新村出編『広辞苑』、昭和四十年、株式會社岩波書店。第二一三一頁)しかし、八を「ヤ」と讀むのは大和言葉で、九三を「ク、サン」と讀むのは漢語で、八九三を「ヤクザ」と讀むのは不自然である。むしろ、「九八三」で「クヤミ」と讀むはうが自然であらう。しかし、「八九三」を「ヤクザ」と讀むのは、おそらくは、すでに忌むべき意味の言葉で「ヤクザ」といふものがあり、それを、博徒が、「一見して高い目になりさうでゐて、最低の目である八九三に當てはめたのであらう。假に「役座」などといふ言葉があつたとして、その特權的な存在でゐて役立たずなどの意味からの援用かも知れない。

○やなぎすい
 柳の葉を少し太めにしたやうな形の深緑の魚。縦縞の濃い土色模樣あり。長さ二寸ほど。すこし癖のある味。

○やはこい
 やはらかい。「やはらかくなる」ことを「やはこなる」と言ふ。赤子のことを「ややこ」といふのも、「やは」な「こ」であるからか。

○やん
 呼び捨てにしない人の名につける。曾和佐次右衞門のことを「曾和のさっじゃん、名張のさっじゃん」などと言ふ。改まつた場では「曾和さん」である。人の名に付ける丁寧語「さま、さん、はん、やん、ちゃん」のうち、大人言葉では一番程度が低いもので、單に呼び捨てではないといふもの。「やん、ちゃん」は、人の名に付けて、苗字には付けない。近所の萬屋「辻本商店」のことを「あさやんとこ」といつてゐた。「ちょつと、あさやんとこで、石鹸買ふて來て。」などと言ふ。

○やんぺのはらいたむしわいた
 遊びを途中で止める時に言つた。「病み兵衞の腹痛、蟲湧いた」といふこと。「止める」と「病める」を兼けた言ひ方。

○ゆう
 「言ふ」を「ユウ」と言ふ。「何といふ」を縮めて「何ちう」と言ふ。「なんちゅうことをしてくれたんや」と叱られる。

○ようけ
  「かづ」や「かさ」が多いさまを言ふ。「ようけここにあるさかい、好きなだけ、とつたらええわ」などと言ふ。規定量以上の物を示す、「餘計」が、「よ」の音に引かれて、「よおけい」となり、「い」が落ちた言ひかた。

○よさり
 夜。「學校の試驗があるっちゅうて、よさり遅うまで勉強してたわ」とか、「よさりに爪切つたらあかん」などと言ふ。

○よつたり
 四人。「ひとり」は「一つあり」、「ふたり」は「二つあり」、「みたり」は「みつつあり」、「よつたり」は「よつつあり」か。「いつたり」、「むたり」とは、聞いた憶えが無い。「相手は一人やつたんやろが、おまえらよつたりもゐて、何してんや。あほ。」などといふ。

○よつつ
 ひとを蔑んでいふ。「あいつはこれや」と言ふて、四本指を立てて示すこともあつた。ひとを蔑む言葉なので、人前では絶對に使はない。「四箇所(シカショ)」の「四」からか。「四箇所」は大坂で、捕り物や警邏に「天満、道頓堀、天王寺、鳶田」の四箇所から出す手傳ひを使つたので、その雇われを「しかしょ」と言つた。映畫撮影では、時代劇の捕物役者を言う。役所の雇員といふ職權をかさに惡事を働くこともあり、「不淨役人」といつて嫌はれた。

○よばい
 夏の夜、川の中の石の蔭などに潛んでゐる魚を、カンテラで照らしてヤスで刺して獲るのを良く見た。これを「よばいを獲る」と言つた。「夜」の「はい(はや)」と言ふこと。  男女が夜中に相手の部屋へ忍び入り、逢ひ引きすることを「よばひ」といふと、東京へ出てから知つたが、名張でも使つた言葉かどうかは知らない。この場合の意味は「夜這ひ」と書かれたりいするが、「呼び合ひ」の「び」の「イ」が缺落して「よばひ」なので、「夜這ひ」と書くのは好色文學での捻つた表記。

○よばれる
 呑み喰ひに招待される。「食べにおいで」と「呼ばれる」こと。「今度の四月には積田神社のぞうくやげな。みんなで呼ばれていこか」などと言ふ。「ぞうく」は、神社の二十一年ごとの大普請で、「造工」か。

○よりあひ
 物事を話し合ふために、集まること。「寄り合ひ」。「東川さん、けふは寄り合ひやけど、もう出掛けて呉れたやろか」などと言ふ。

○みづな
 壬生菜(みぶな)、京菜のこと。壬生菜の訛り。「みづなは油揚げと炊いたら美味しい。」

○ら
 自分をさす「わたい」に付けて「わたいら」、相手を指す「あんた」に付けて「あんたら」として、表現を和らげる。「わたいら、あんなん、かなわんわ」などと。「何々や何々」、「等々」の意味を持つ支那語の「?{ラ}」から來てゐるか。

○ろつぽうせき
 水晶。石英結晶の斷面が六角なので、「六方石」か。

○わけする
 喰ひ盡くすべき喰ひ物を喰ひ殘す。喰ひ物を今喰ふ分と後で喰ふ分とを分けるといふことか。「わけしたらあかん。猫みたいやな」と。

○わたい
 女の人が自分本人のことを言ふ。「わたし」。「うち」と言ふ人もゐる。

○わや
 期待した結果が得られない状態。「そんなこと言うてもろたら、わややわ」とか、「ほったらかしにしといたら、わやになつたわ」などと言ふ。東京の寄席での大阪辯談義で、「サッパリわやでんね」は、まだ深刻では無く、本當に深刻なのは「わやでんな」と言ふとの話があつたが、伊賀での「わや」の使ひ方には深刻さは無い。

○わるき
 乾かした樹を一尺位の長さに切り、適度の太さによきで割つた薪。「割り木」。鋸で樹を切り、よきで割るのが面白く、小學生の頃、冬には良くやつた。くぬぎの木の中からかみきり蟲の幼虫が出て來ると、火鉢の火で燒いて食べた。

○ゑふ
 小荷物などを送るときに、宛先や送り元などを書き付けて荷物に附ける札。「繪符」といふことか。東京で「ゑふ」と言つ買ひに行くと通じないので、「荷札」と言ひ替へたら通じた。

○ををけ
 大きさが八寸ほどの桶。座敷の火鉢で使ふ炭を容れてゐた。「苧」を容れる「桶」の意味。
※※ 名張で使はない上野言葉 ※※
○おまん
 男女ともに相手のことを言ふ。「お前」。

○せやない
 充實感が味はへない時に言ふ。「精」あるいは「勢」が無いと言ふことか、よく判らない。「おまん、いま來たばつかりやのに、もういぬんか。せやないなあ。」などと言ふ。

○わい
 男女ともに自分のことを言ふ。名張では女が自分のことを「わたい」と言ふが、「わい」とは言はない。
あ〜か
き〜こ
さ〜た
ち〜ひ

伊賀國の玄關頁 小畫面端末版の目次頁


この網上葉の經過
○令和五年六月九日、増補、再編集。
○平成二十年九月十六日、電子飛脚の宛先訂正。
○平成十七年八月三日、増補。
○平成十五年十一月二十五日、携帯電話版を掲載。
○平成十四年十二月朔日、掲載。
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