いがのくにふるさとはなし

伊賀國

きつねが人をバカすこと

東川吉嗣

伊賀の狐は今も人をバカす

  平成十三年の正月歸省の際に聽いた話。
  つい近頃のこと。ある男が伊賀神戸から名張への山道を自動車で通りかかつたところ、二時間かかつても通り抜けられず、氣を取り直してタバコを吸ふたところ、ハッと我に歸り「狐にバカされてゐた」と氣付いた。この道は要注意の道とのこと。
  この道へ車で連れて行つて貰ふたが、車で二三分も走れば通り過ぎる道。
  伊賀の狐は昔年の性を失ふてはゐず、今も人をバカしてゐる。
  自分が童の頃、昭和二十年代、狐は身近な存在であつた。父が朝、「夕べは家の横で狐が啼いてゐた」とヘへてくれたが、自分は聞いたことがない。狐が鶏小屋の下の土を掘り、鶏を盗るので、夜は鶏を家の中へ移した所、ある夜に裏口の敷居の下の土が半分ほど掘られてゐたことがあり、これは狐が鶏を盗らうとして掘つたのだとヘへられたことがある。うちの畑に植えてある落花生を狐が掘り出して食べるとの話も聞いた。ある朝、家の横の畑で足を車に轢かれた狐が死んでゐた。夜、川へ水を飲みに來て歸りに車に轢かれたらしい。その肉は父が捌いて知り合ひと分けて食べたが、臭みが強くて旨くはなかつたとのこと。自分も食べた記憶はあるが味は憶えてゐない。その狐の毛皮は木の板に貼り付けて乾燥させた後に、皮なめしの職人になめして貰ひ、姉の襟巻きになつた。
  童の頃、近所にびつこを引いた年頃の女の人がゐて、その足は狐にバカされてのことだといふ。また近所の友の父親が氣違ひになつて、寝てゐる家族を毆り付けたりするやうになつたが、その原因は螢を捕りに川向かふへ船で渡り、河原で狐の尾を踏んだためだといふ。


  きつね話のついでに
  童のころ、空が晴れて明るいのに雨が降ると、「きつねの嫁入りだ」と言ふた。
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この網上葉の經過
○令和五年六月九日、再編集。
○平成二十年九月十六日、電子飛脚の宛先訂正。
○平成十五年十一月二十五日、携帯電話版を掲載。
○平成十三年正月十五日、掲載。
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